1-1-1. 否定
Not
このページは編集中です
内容はまだ不完全で確定しておらず,今後大幅に変更される可能性があります。
否定
非
定義
AがBでないことを次のように表す。
A非B
A匪B
説明
この表現は、AがBであることを否定している。すなわち、AがBでないことを意味する。
漢字の使い分け「非」と「匪」はどちらも否定繋辞(Negative Copula、「〜ではない」)として機能するが、否定が適用される「境界線の性質」によって次のように使い分ける。
- 「非」:客観的・外延的な否定( ) 対象 A が、事実や定義に基づいて客観的に「Bという集合・クラス」に属さないことを示す。冷静な線引きや論理的定義に用いられる。
- 「匪」:主観的・内包的な否定 対象 A が、話し手の感情、意志、あるいは主観的な評価において「Bという概念(性質・内包)」に当てはまらないことを強く主張する際に用いられる。
Aは、論理学における主辞(Subject)、言語学における**主題(Topic)**である。 日本語で「〜は」と訳され、これから「真理値や所属の判定」を行うための論理的空間をセットアップする役割を持つ。
- 品詞制限:体言(名詞・代名詞)、または名詞化した句。
- 論理的拡張:特定の行為(動詞句)や事態(命題)そのものを否定したい場合、それらを丸ごと一つのパッケージ(項)として「名詞化」したものをAに置くことができる。
Bは、論理学における賓辞(Predicate)、またはAが排除されるべき**集合(Class)**である。 対象Aが「Bの境界線の外側(補集合 )」に存在することを示すための基準となる概念である。
- 品詞制限:体言(名詞・代名詞)、または名詞化した句。
- 論理的拡張:「不」の後に来るような動作(動詞)や状態(形容詞)そのものを直接置くことはできない。これらを置く場合は、名辞(概念)として抽象化されたものでなければならない。
- 省略の規則:文脈上、Bが「是(真実・正しいこと)」であることが自明な場合、Bを省略して 「A非也」 と結ぶ。これは命題Aに対して「それは偽(False)である」という真理値判定を下すメタな操作となる。
1. 客観的定義の否定(「非」の基本型)
無惻隱之心非人也(惻隠の心無きは、人に非ざるなり)
- A = 「無惻隠之心」(同情する心を持たない存在は)
- B = 「人」(人間という集合)
- 解説:同情心を持たない存在は、客観的・定義的に「人間」という集合の外側( )に排除されることを示す。
2. 主観的感情を伴う否定(「匪」の基本型)
我心匪石(我が心は、石に匪ず)
- A = 「我心」(私の心は)
- B = 「石」(簡単に他人に転がされるもの)
- 解説:単に「心は鉱物ではない」という事実を述べるのではなく、「私の心は、石のように簡単に扱えるものなんかでは決してない」という意志を伴う境界線を引いている。
3. 命題の真偽値判定(「非也」の省略型)
釋氏所言阿修羅王之事非也(釈氏の言う阿修羅王の事は、非なり)
- A = 「釋氏所言阿修羅王之事」(仏教徒の言う『阿修羅王が日食を起こす』という説は)
- B = (省略。正しいこと・真実)
- 解説:ある主張(命題A)を丸ごとパッケージ化し、それが「偽(False)」であることを判定している。
与其B豈若A哉
句法
与
其
B
豈
若
A
哉
書き下し
其のBせんよりは、豈にAするに若かんや
訳
Bするよりは、Aする方がよいのではないか。
置換・省略
白文
與与
其B豈若A哉
書き下し
其のBせんよりは豈にAするに若かん
や
文法
A
動詞句|未然形
B
動詞句|連体形
対等
論理式
例文
与
其
従
辟
人
之
士
豈
若
従
辟
世
之
士
哉
其の人を辟くるの士に従はんよりは、豈に世を辟くるの士に従ふに若かんや
(非難して)人から逃れるような人物(=孔子)に従うよりは、(乱れた)社会をはばかりながら生きる人物(=我々隠者)に従う方がよいのではないか。〔論語〕
「辟」は「避」の字に通ずる。「辟」はかわす、のがれる、はばかる、いみさける。「之」は被修飾語「士」の前におかれる助詞。「従」は人のあとにつきしたがう。「士」は知識人。魯の国の隠者である桀溺(けつでき)という人物が、孔子の弟子である子路に向かって放ったもの。当時、孔子は自分の理想とする政治を行うため、弟子たちを連れて様々な国を旅(周遊)していた。ある日、道に迷った孔子は、その弟子(子路)に命じ、畑を耕していた隠者の桀溺に道を尋ねさせる。その際、桀溺は子路に対し、例文の通り皮肉を言った。「天下はどこもかしこも泥沼のように乱れている。それを一体誰が変えられるというのか。君は、仕える主君が悪いからと次々に国を変えるような先生(孔子)に付いて回っているが、そんなことをするより、私たちのように乱れた社会そのものから脱し、田舎で静かに暮らす方がよっぽど賢いのではないか。」理想を追い求めて社会を良くしようと奔走する孔子と、社会に見切りをつけて個人としての清らかさを保とうとする隠者の、生き方の対立が描かれた一文。
与
其
図
之
於
難
豈
若
制
之
於
易
其の之を難きに図らんよりは、豈に之を易きに制するに若かん
(事態が)難しくなってから(国家を)取り返そうと謀るよりは、(事態が)容易なうちに手を打つ方がよいのではないか。〔張辟疆論〕
「於」は名詞句の前におき、動作が発生するときに依拠する条件などを示す助詞。「図」は手に入れようと謀る、取得する、取る。「制」はこらしめる、押さえて従わせる。「之」は形式目的語。「難」はむずかしい、「易」はその対義語でやさしい。「於」の後ろにおくのでどちらも名詞化する。呂后(りょこう、中国三大悪女の一人として有名)は若いころの放漫な劉邦(りゅうほう、約400年続く前漢王朝を建てた初代皇帝)を支え、劉邦との間に劉盈(りゅうえい、のちの恵帝)を産んだ。劉邦が天下を統一するとき、呂后は敵(項羽)の捕虜になったが、劉邦は若い戚夫人(せきふじん、側室であり、いわば適法な第二の妻)を寵愛しており、これ以後呂后は劉邦に対し激しい怨念を抱く。劉邦は戚夫人の子、劉如意(りゅうにょい)を、慣例に反して世継ぎにしようとしたが、王朝の分断を恐れた張良(ちょうりょう、漢の三傑と呼ばれて名高く、息子は後述の張辟疆)の入れ知恵などにより失敗。結局劉盈は廃嫡を免れ、劉邦の死とともに即位。このとき生前劉邦によって遠方に避難させられていた劉如意が呂后により都に呼び戻され、これを見た仁弱な恵帝は劉如意を匿うも結局劉如意は殺害される。その後呂后は史上稀に見る極めて凄惨な方法で戚夫人を殺害してこれを恵帝に見せつけたので、恵帝は心神を喪失する。その後も呂后による恵帝の義兄に対する毒殺未遂、実姪との結婚の強制、酒を呷り側室に溺れた末にできた子を嫡子と偽装の上、側室は殺害されるなどの呂后による周囲への暴虐が続き、心神は完全に寛解することなく恵帝は若くして崩御した〔史記〕。この葬儀の際、呂后は大きな声で号哭したが、涙は一滴も流さなかった。これを見た当時15歳で侍中を務めていた張良の息子、張辟疆(ちょうへききょう、張良の息子)は、功臣たちが幼い皇帝を侮って自分たち呂氏一族を害するのではないかと怯えていると解した。そこで辟疆は、漢の重臣らに対し、進んで呂氏一族に軍事権を与えるよう提案。後ろ盾を失った呂后が安心し、重臣らも呂后による粛清などの難を逃れられると説き、実際に軍事権は呂産や呂禄などの呂氏一族に与えられた。その後、呂后は自身に対する復讐を恐れて劉氏をほとんど族滅した〔漢書・外戚列伝〕。前漢の思想家・揚雄(楊子)は、葬儀の際の張辟疆の発言を、臨機応変に社稷を安定させた知恵として称賛した〔法言〕が、李徳裕はその評価に真っ向から反対し、辟疆の計略は呂氏に不要な力を与え、漢王朝を滅亡の危機に瀕させた愚策とした。すなわち、呂后には独りで思い悩ませ、食事をとらぬようになって自ら寿命を縮めさせればよいとしたのである。史実では、軍事権を握っていた呂禄が政治に疎かったために、劉氏側に実権を渡す提案に乗ってようやく呂氏一族もろとも滅ぼされ、劉氏の漢王朝へと戻った。従って一連の逆転劇は、もし劉氏側の人間が突然亡くなっていたり、呂氏に抜きんでた才能があれば失敗する脆い策略だったと主張した〔張辟疆論〕。呂后の一代記を背景に、事態が悪化してから対策を立てるよりは、事態がまだ容易なうちに手を打つ方が賢明であることを説く警世の言。
与
其
潜
資
於
奸
吏
豈
若
均
助
於
疲
人
其の潜かに奸吏を資けんよりは、豈に均しく疲人を助くるに若かん
人目を盗んで不正を働く悪徳役人に私腹を肥やさせるよりは、あまねく困窮した民衆を救済する方がよいのではないか。〔簡獲隱戶奏〕
「於」は動作が直接及ぶ対象を表す。「奸吏」はよこしまな心を持った役人。「疲人」は疲弊した人、すなわち困窮した民衆。「助」は救済する、すくう。「資」は金品を与えて援助する。「潜」はこっそり、秘密裏に。「均」はみな、すべて、あまねく。「潜」と「均」はいずれも副詞。呂温は道州(どうしゅう、かつてあった中国南部の州)での功績を認められて、衡州(こうしゅう、かつてあった中国南部の州)の刺史(しし)に任命された。この地の帳簿を調べ、実地踏査した結果、戦乱や悪政の影響で疲弊していたにも関わらず、地元の役人の専横が極まって隠れ世帯を放置し、私腹を肥やしていたことが分かった。その金を密かに悪徳役人に流すくらいなら、隠匿された戸籍を帳簿に組み込み、国へ納める全体の税金総額は変えずに公平に納税させ、もって疲れ切った一般の領民の税負担を軽くするように上奏した〔簡獲隱戶奏〕。対比が鮮明であり、かつ全体として提案を示す好例である。
与
其
臨
事
而
重
擾
豈
若
先
備
而
即
安
其の事に臨みて重ねて擾らんよりは、豈に備へを先にして即ち安んずるに若かん
(危機の)事態に直面してからいっそう大混乱するよりは、用意を予め行って早く落ち着かせる方がよいのではないか。〔城塩州詔〕
「而」は順接の関係を示す接続詞。「即」はただちに、すぐに。「重」はあらためて、かさねて。「擾」はかきみだす。「安」は落ち着かせる。「臨」は前置詞でちょうど~にあたって、まもなく~しようとする。「先」は第一にする。「備」は用意。「城塩州詔」(じょうえんしゅうのしょう)は唐代中期の第九代皇帝徳宗(李适)が発した詔勅である。塩州は、東の夏州、西の霊州を結ぶ要所であり、首都・長安を守るための最大の盾だった。しかし先の大乱で辺境の砦が破壊され、三方の要害を守る守備兵(防人)の負担が増加した。唐王朝を脅かし続けたチベット系民族である吐蕃(とばん)はかねてより略奪や虐殺の限りを尽くすことで有名であり〔資治通鑑〕、唐の弱体化を見て、何度も攻撃を仕掛けてくるようにもなった。徳宗は、塩州の城壁が崩壊したことを受けて、すぐに修復するよう命じるとともに、事態が起こってから大慌てで民を動員して大混乱に陥るよりは、あらかじめ備えを万全にするのが賢明と判断し、兵士を増員して、食糧や武器を十分に蓄えるよう命じた。これにより、ついに、吐蕃は手を出すことができなくなった。〔太平御覽|醴泉県志〕
与
其
廃
礼
傷
愛
豈
若
徇
節
忘
恩
其の礼を廃りて愛を傷なはんよりは、豈に節に徇ひ恩を忘るるに若かん
(私的な感情に流されて我が子の人質に動揺して降伏するなどで)作戦を誤ったりすれば、軍令違反になるうえ、結局は敗北してしまい我が子を失うより、軍人として忠義を貫き通して(私的な)恩情を(戦略的に)断ち切る(ことで敵の人質作戦を無効化する)方がよいのではないか。〔対棄子判〕
「廃」は捨てさる。「徇」は「侚/殉」の字に通じ、ある目的のために身を投げ出す。「礼」は国家の秩序や組織を規定する制度やきまり。「傷」は物や事柄に損害を与える。「愛」は恩恵、めぐみ。「節」は道義上守るべき節操、節義。「忘」はうちすてる。「恩」は情愛、情け。「対棄子判」(たいきしはん)は、唐代の官吏登用試験(科挙の「判」)における模擬判決文であり、『全唐文』や『文苑英華』に「闕名(けつめい、作者不詳)」として収録されている。そのお題(判題)は、「命令を受けて敵の城を攻めていた将軍に対し、城内の敵が『お前の幼い子ども(孺子)を殺すぞ』と脅迫した。将軍は『それなら必ずそのスープ(我が子の肉を煮た汁)を私にも分けてくれ』と答えた(すなわち実の子をこれ見よがしに見捨てた)。人々はこれを不義であると非難した。これについて判決を下せ」という、極限状態における忠義と親子の情の葛藤を問うものである。判決文では、将軍のこの冷徹とも思える態度を、公的な大義を優先して私情を断ち切る「大義滅親(たいぎめっしん)」の姿勢として肯定的に評価する。かつて魏の将軍・楽羊(がくよう)が、人質となった我が子の肉のスープを敵に飲まされながらも中山国を滅ぼして忠誠を示した故事や、衛の石碏(せきしゃく)が国のために我が子を誅殺した例を引き、個人の私的な愛着に流されて負けるくらいなら、公の使命に従って私的な恩愛を断ち切る方が、忠臣としての道に適っているのではないか、と論じている。〔全唐文|文苑英華〕
与
其
違
性
而
早
落
豈
若
従
宜
而
晩
成
其の性に違ひて早く落ちんよりは、豈に宜に従ひて晩く成るに若かん
生まれつきの性質に反して、無理に早く成長させようとするよりは、後の時期に自然な成長を促す方がよいのではないか。〔揠苗賦〕
「違」は異なるさま、一致しないさま。「性」は人の生まれつきの本質。「宜」は「義」の字に通じ、正当な道理、適切なありかた。「従」はするに任せる、好きにさせる。「早」は時間が先であるさま。「遅」は時期が遅れているさま。「落」は衰える、すたれる。「成」は成長する。科挙や官僚登用試験(特に難関の「博学宏詞科」など)で出題される試賦(しふ)と呼ばれる形式で書かれた詩の一部。この文が含まれる詩は、「抜苗助長」(ばつびょうじょちょう)の元となった、『孟子・公孫丑上』に登場する有名な寓話に基づく物語である。宋(そう)の国に、自分の育てる稲の苗が早く大きくならないかと、毎日心配している愚かな農夫がいた。彼は「それなら、苗を少しずつ上に引っ張り上げて高くしてやれば早く育つだろう」と考え、田んぼの苗をすべて手で引っ張って少しずつ上に抜いた。疲れ果てて家に帰った農夫は、家族に「今日は疲れたが、苗の成長を助けて(助長して)やった」と自慢した。不審に思った息子が田んぼに行ってみると、根を浮かされた苗はすべて枯れ果てていた。孟子はこの話を通して、「人間の『浩然の気(道徳的で強靭な精神)』を養うのも、日々の正しい行いの積み重ねが重要であり、焦って不自然なハッタリ(助長)で急成長させようとすれば、かえって魂を台無しにしてしまう」と説いた。この詩は、そうした寓話を踏まえ、性格や能力の発達においても、無理に早く成長させようとするよりは、適切な時期に自然な成長を促す方が望ましいのではないか、と説いている。〔揠苗賦〕