2-1-1. 熱平衡と温度
Temperature and Equilibrium
熱平衡
透熱壁
つの系を隣接させたとき,ピストンを動かすといった力学的な仕事を外部から加えていないにもかかわらず,それぞれの系の圧力 や体積 などの状態変数が時間とともに変化し始めるような境界を透熱壁という。
透熱壁の定義は,力学的な操作を介さないエネルギーの移動経路が存在することを認めるものである。本来,力学の常識に従えば,境界が固定されていれば体積は変わらず,外力が一定であれば圧力も変化しないはずである。しかし,この壁を介して接触した つの系は,外部から何もしていないのに変数が勝手に動き出すという従来の考え方では説明できない現象を引き起こす。熱力学は,あくまで圧力 や体積 といったマクロな指標の変動を通じて,エネルギーの出入りを論じようとする学問である。変数が勝手に動くという事実は,私たちの目に見えない形で系と系の間にエネルギーの流出入があることの決定的な証拠であり,その見えない通路に名前を与えたものが透熱壁である。
熱力学は最初から分子の一つひとつがどのように衝突しているかという微視的な詳細には深入りしない。むしろこの段階ではまだ,なぜ変数が動くのか,その正体は何であるかについては言及できない。歴史を振り返れば,熱力学の確立期 (1820~1850年代)には分子の存在を信じている人はいたが,1905年頃にアインシュタインがブラウン運動(水中の微粒子が不規則に動く現象)を分子の衝突で説明し,それが実験で証明されるまで科学的な事実としては決着がついていなかった。したがって今は境界の性質によって系が外部からの力学的干渉なしにその状態を変えうるという観測を認めることが精いっぱいである。この観測事実があって次第にこの現象を理論的に説明できるようになり,この壁を介してやり取りされるエネルギーの形態を,我々はのちに「熱」と呼ぶことになる。
熱平衡
透熱壁を介して熱的接触にある つの系において,十分に長い時間が経過したのち,それぞれの系の圧力 や体積 などの状態変数が,もはや時間的に変化しなくなった状態を熱平衡(状態)という。
熱的接触が始まった直後,系は不安定であり,変数は激しく,あるいは緩やかに変動する。しかし,私たちの経験によれば,外部から新たな干渉を加えない限り,その変動はいずれ収束し,静止する。この「マクロな変化の終焉」こそが熱平衡の本質である。
ここで重要なのは,熱平衡とは「何かが等しくなった」という結果を指す言葉ではなく,「変化が止まった」という観測事実そのものに与えられた名称である点だ。力学において,力が釣り合えば物体が静止するように,熱力学においても,系と系の間の「何か」のやり取りが均衡に達したとき,変数は動かなくなる。
私たちは日常的に,この状態を指して「温度が同じになった」と表現する。しかし,この段階ではまだ「温度」という物理量は定義されていない。熱平衡という概念をまず定義し,その状態を客観的に記述するための「共通の指標」として,のちに温度という言葉を導入することになる。つまり,熱平衡は温度という概念を支えるための,論理的な土台(前提条件)なのである。
熱力学第0法則
系 と系 が熱平衡にあり,かつ系 と系 が熱平衡にあるならば,系 と系 もまた熱平衡にある。
この法則は,あまりにも「当たり前」に思えるかもしれない。しかし,論理的な体系を築く上では,この「当たり前」を公理として宣言することが不可欠である。数学的に言えば,第0法則は熱平衡という関係が「推移律( かつ ならば )」を満たすことを保証している。
なぜこれが重要なのか。もしこの法則が成り立たなければ,私たちは「温度計」を作ることができないからだ。 温度計(系 )をコップの水(系 )に入れ,メモリが止まったとする。次に同じ温度計を別の水(系 )に入れ,同じメモリで止まったとする。このとき,第0法則があるからこそ,私たちは「直接混ぜ合わせなくても,コップの水 と は同じ状態(熱平衡)にある」と断言できるのである。
歴史的には,第一法則や第二法則が確立されたあとに,それらの大前提としてこの法則の重要性が再認識された。そのため「第0」という番号が与えられている。この法則によって初めて,私たちはバラバラの系に対して「共通の指標」を割り振る論理的な許可を得たことになる。その「共通の指標」こそが,次なるステップで導入される「温度」の正体である。
経験温度
経験温度
熱平衡状態にある系において,ある基準となる物質の温度特性の変化 を数値と一対一に対応させた指標を経験温度という。
第0法則は,熱平衡状態にある系が共通して持つ「何か」の存在を保証したが,それがどのような数値であるかは教えてくれない。そこで私たちは,身近にある物質の目に見える変化 (例えば水銀の長さ,体積,圧力,電気抵抗など)を観察し,その変化に強引に数字を割り振ることにした。これが経験温度である。
この段階での温度は,あくまで「ある物質の,ある性質」に依存した極めて属人的なものさしである。温度 は温度特性 の関数として と書けるが,この関数 をどのように決めるかによって,無数の「温度」が誕生することになる。
セルシウス温度の初期定義
標準大気圧下において,ある物質の測温物性が,氷と水,水と水蒸気が熱平衡のときにとる値をそれぞれ , としたとき,初期定義としてのセルシウス温度 は,そのときのを数値化した値 を用いて次のように求める。
初期の定義がなされるセルシウス温度を含め,いわゆる経験温度は測温物性 が温度 に対して線形に変化するという仮定に基づいている。 すなわち,定数 を用いて次の関係式が成り立つと考える。
この式に基準点となる氷点()と沸点()の条件を代入する。
これらの方程式を解くことで,係数 と定数項 が導かれる。
得られた を最初の式に代入し, について整理する。
この定義はすなわち,水の氷点を ,沸点を とし,その間を線的に近似するものである。「線的に」とは,グラフで温度特性 (例えば体積,圧力,電気抵抗など数値で一意に示すことのできる特性)を横軸にとり,縦軸に温度 をとれば,直線で表すことのできることをいう。この定義により,水の相転移という自然界の現象を基準にしていることから,条件がそろえば と をどこでも再現することが容易になった。
しかしこの定義は,あくまで「初期定義」であり,厳密な定義ではない。 に水銀の体積膨張を指定するか,あるいは気体の圧力を指定するか,そうした違いにより,基準点 と 以外の場所での温度計の指し示しは一致しない。その意味において「経験温度」というのであり,現在は物質内部の様子を表す指標として便利なものがある,という認識を示したに過ぎない。
等方性の物質の熱膨張
セルシウス温度 における固体の長さ は, における固体の長さ および線膨張率 を用いて次のように近似できる。
体膨張セルシウス温度 における固体の体積 は, における固体の体積 および体膨張率 を用いて次のように近似できる。
線膨張率と体膨張率の関係等方的な物質の線膨張率 と体膨張率 の間には以下の関係が成り立つ。
線膨張率 は温度が微小量 変化したときの,単位長さあたりの長さの変化率(定数)である。
は温度によらず一定だから,変数分離法を用いてこの微分方程式を解く。
セルシウス温度 から まで,すなわち長さ から まで積分すると
ここで,マクロな温度変化に対して である場合,指数関数のマクローリン展開の第二項までを示した数学公式 を用いて次の近似式を得る。
体膨張体膨張率 は温度が微小量 変化したときの,単位体積あたりの体積の変化率(定数)である。
は温度によらず一定だから,変数分離法を用いてこの微分方程式を解く。
セルシウス温度 から まで,すなわち体積 から まで積分すると
ここで,マクロな温度変化に対して である場合,指数関数のマクローリン展開の第二項までを示した数学公式 を用いて次の近似式を得る。
線膨張率と体膨張率の関係一様な立方の固体の体積 は長さ の 乗()である。この両辺を温度 で微分すると,合成関数の微分に関する数学公式 を用いて
両辺を で割ると,
左辺は体膨張率 ,括弧内は線膨張率 の定義そのものであるから
経験温度を測る水銀温度計
標準大気圧下において,細いガラス管内の水銀柱の高さが,氷と水,水と水蒸気が熱平衡のときにそれぞれとる値を , としたとき,経験温度としてのセルシウス温度 は,そのときの水銀柱の高さ を用いて次のように求める。
水銀柱の高さ が温度 に対して線形に変化すると仮定する。 定数 を用いて次の関係式が成り立つと考える。
この式に基準点となる氷点()と沸点()の条件を代入する。
これらの方程式を解くことで,係数 と定数項 が導かれる。
得られた を最初の式に代入し, について整理する。