自由心証主義

Free-evaluation

証拠排斥

証拠排斥の理由付記義務の否定

判例

適法に得られた証拠の取捨判断および信用性の理由は,これを判決で示すことを要しない。

最高裁判決
最高裁判所大法廷 1949(昭和24)年5月18日 判決

刑訴応急措置法第12条第1項の規定は,被告人の請求があるときは,その所定の書類の供述者又は作成者を公判期日において訊問する機会を被告人に与えなければ,原則として,これを証拠とすることができないとしたに止り,既にその機会を与えた場合において,その書類の証拠能力又は価値を認めないとしたものではない。そして証拠の取捨判断は,裁判官が法令その他実験則に反せざる限り,良心に従い諸般の事情に応じ独立自由に決定すべきところであつて,その取捨判断の理由は,必要に応じ適宜これを示すことを妨ぐるものではないが常に必ずこれを示さなければならぬものではない。蓋し旧刑訴第360条第1項は,有罪判決において罪となるべき事実を認めた証拠上の理由を示すべきことを要求しているけれども,更らに証拠の取捨判断の理由をも示すべきことを命じてはいないからである。所論の刑訴応急措置法並びに新憲法の施行に伴いこれと異る解釈を採らねばならぬ理由は,毫もこれを見出すことはできない。それ故原判決が所論のように証人Gの証言を排斥し同人に対する検事の聴取書を罪証に供しながら,その証言排斥の理由を示さなかったからと言つて所論の違法ありといえない。本論旨もその理由がない。

説明
現行法下の理解

現行刑事訴訟法は、自由心証主義を採用している(刑訴法第318条)。

裁判官は、法令や経験則に反しない限り、良心に従い、証拠の取捨選択や信用性の判断を自由に行うことができる。有罪判決では、罪となるべき事実を認めた証拠上の理由を示す義務がある(刑訴法第335条第1項)。しかし、個々の証拠について,なぜこれを採用したか,あるいはなぜこれを排斥したかという理由まで、常に判決で示さなければならないという明文の規定はない。

この点について、最高裁は一貫して,証拠の取捨選択・信用性の判断は裁判官の自由心証に委ねられ、その理由を常に判決で示す義務はないという立場をとっており、現行法下でもこの理解は基本的に変わっていない。

もちろん、裁判員裁判や上級審での審査可能性を高める観点から、事実認定の過程をより明示する傾向は強まっているが、それは実務運用上の要請であり、法的義務として常に理由を示さなければならないと解されているわけではない。

射程

この判例は、旧刑訴法がまだ廃止せられてない時代において、特信情況の定めのない刑訴応急措置法下で、新憲法施行直後に出されたものである。

しかし、新憲法は、適正手続・防御権・反対尋問権を保障しており、応急措置法第12条は、その憲法理念を刑事手続に具体化するための暫定的ルールとして制定された。したがって、この判例が示した 証拠能力の制約(反対尋問の機会保障)と証明力の判断(自由心証)の区別は、新憲法の理念に沿ったものであり、現行刑訴法の構造とも整合的とみることができる。

現行刑訴法は、第320条以下で伝聞排除の原則とその例外を定め(証拠能力の制約)、第318条で自由心証主義を定め(証明力の判断)、第335条で有罪認定の証拠上の理由を示す義務を課すという構造をとっており、応急措置法下の判例が示した枠組みを、より限定したものと位置づけられる。

したがって、この判例は歴史的背景を考慮してもなお、新憲法下でなされたものであり、現行刑訴法の基本構造と整合する前例として、現在も射程を持つと解するのが妥当である。

加えて,供述調書,鑑定調書,書証,物証についても,証拠能力が認められた後は、どのように評価するかは裁判官の自由心証の範囲であると解せられる。

なお,この判例は、証拠能力が適法に認められた後の証明力の判断に関するものであるから,証拠の種類ごとに固有のルール・判例が存在するため、一律に射程が及ぶとは限らない。