刑事被告人の権利

Accused

対審及び判決の公開

対審及び判決の公開

判例

「合議の上」とは,不正確の嫌があるものの,裁判官全員の意見が合致したものと認めうる。

最大判 昭和23年6月23日

要旨
裁判所:最高裁判所大法廷
判例:1948年(昭和23年)6月23日
事件番号:昭和23(れ)88
出典:刑集 第2巻7号734頁

裁判が,公開の法廷において,公正な裁判所によってなさるべきことは,所論のごとく憲法の明定するところである。ただ公の秩序又は善良の風俗を害するおそれがある場合には,裁判官の全員一致で,対審を公開しないで行うことができることは,憲法第82条第2項の定めているところである。そして,本件記録を調査すると,「裁判長は合議の上,爾後の審理は,風俗を害する虞あるにより,公開を禁止する旨を告げ非公開とした」との記載が,昭和22年9月30日の公判調書に明記されている。かくのごとく裁判所が非公開で審理をした場合には,「裁判官の全員一致で」公の秩序又は善良の風俗を害する虞があると決定した旨を明確な表現で調書に記載しておくことが大切である。そこで,本件調書に「合議の上」風俗を害する虞あるにより公開を禁止した旨を告げ非公開としたとの記載は厳格にいえば,稍不正確の嫌があるが,しかしなお,裁判所法にいわゆる評議を経て,裁判官全員の意見が合致して非公開を決定したものと認め得るのである。

証人審問権

証人審問権の限界

判例

裁判所は被告人側の申請にかかる証人のすべてを取調べる義務を負わない。

最大判 昭和23年6月23日

要旨
裁判所:最高裁判所大法廷
判例:1948年(昭和23年)6月23日
事件番号:昭和23(れ)88
出典:刑集 第2巻7号734頁

原審公判調書によれば,原審においてA,B,Cの三名は証人として申請せられているが,D,Eの二名については所論とは異り証人申請は行われていない。又Bに対する訊問事項は,屍体に文身があったか否か,若しあったとすれば文身のあった部分その図柄,模様等の詳細如何というにあった。A,Cの二名に対する訊問事項は,全然記録中にないから知る由もない。しかし,記録中に綴られている弁論要旨と題する書面には,「所謂ナラズ者ニシテ全身ニ文身アリ遅カレ早カレ畳ノ上ニテハ死ネヌ人物ナリ。遺骸ヲ引取ル親戚等ナク親分Aガ之ヲ引取リタル次第ナリ」とあるから,Aに対しては恐らくこの点を訊問事項として申請したものであろうと思われる。そこで,憲法上裁判所は,当事者から申請のあった証人は総て取調べなければならないかどうか,という問題について考えてみよう。まず事案に関係のないと認められる証人を調べることが不必要であるは勿論,事案に関係あるとしても其間おのずから軽重,親疎,濃淡,遠近,直接関接の差は存するのであるから,健全な合理性に反しない限り裁判所は一般に自由裁量の範囲で適当に証人申請の取捨選択をすることができると言わねばならぬ。所論の憲法第37条第2項に,「刑事被告人は,公費で自己のために強制手続により証人を求める権利を有する」というのは,裁判所がその必要を認めて訊問を許可した証人について規定しているものと解すべきである。この規定を根拠として,裁判所は被告人側の申請にかかる証人の総てを取調ぶべきだとする論旨には,到底賛同することができない。本件の筋は比較的に簡明で,犯行は極めて歴然としており,既に第1審では兇行現場の検証が行われ,本件に最も重要な証人二名は訊問せられており,事件の全貌は被告人の供述と相まって原裁判所に明瞭に印象づけられ,殊に第1審判決が殺人罪を認定したにかかわらず原審は傷害致死罪を認定している点から推理すれば,原裁判所は当時既に事案に対する自由心証を形成することができていたから,前述のような文身の有無や遺骸の引取等についての証人申請は事案に必要なきものとして却下したものと考えることができる。

遡及処罰の禁止

裁判権の停止とその回復

判例

わが国が連合国最高司令官の覚書により連合国人に対し裁判権を行うことを得なかった期間内に連合国人によって犯された犯罪に対し,わが国が裁判権を回復した後においてこれを審判することは,事後立法禁止に関する憲法第39条の規定に違反するものではない。

最大判 昭和30年6月1日

要旨
裁判所:最高裁判所大法廷
判例:1955年(昭和30年)6月1日
事件番号:昭和29(あ)215
出典:刑集 第9巻7号1103頁

 わが国は,昭和21年2月19日附「刑事裁判権の行使」に関する連合国最高司令官の覚書の発せられて以後,昭和25年10月18日附「民事及び刑事裁判権の行使」に関する覚書に基く「連合国人に対する刑事事件等特別措置令」の施行(同年11月1日)にいたるまでの間,即ち昭和21年2月19日から昭和25年10月30日までの間,連合国人に対して,公訴権並びに裁判権を行うことを得なかったものであり,原判決の確定するところによれば,被告人は台湾生れで,連合国人に属するものとせられ,本件犯行は昭和23年11月8日,東京都内で行われたものである。

 しかしながら,わが国は,被占領当時においても統治権を喪失したものでなく,わが刑法は当時日本国内において罪を犯した者に対しては,内外人たるを問わず,その効力を及ぼしたのであって,ただ前記の期間内は,連合国最高司令官の覚書によって,一時,連合国人に対し,公訴権並びに裁判権の行使を停止せられていたに過ぎないのである。すなわち,右期間内といえども,連合国人に対するわが刑法の効力は何ら害されることなく,これに対する公訴権,裁判権も,単に,一時的な制限を受けたにとどまり,潜在的には,その存在を失わなかったものと解すべきである。

 であるから,本件犯行のごとく,右の期間内に連合国人によって犯された犯罪であっても,これに対し,右期間経過後において,すなわち,かかる犯行についてのわが国公訴権,裁判権に対する障害が除去され,わが国が完全に,その公訴権,裁判権を回復した後において,これを起訴審判することは,毫も,事後立法禁止に関する憲法39条の規定に違反するものではないのである。論旨は理由がない。

説明

 法理としては以下に掲げる大審院第一刑事部大正10年(れ)第103號 同年3月25日判決と同一であると考えられるから参考のためにここに引用する。いずれも裁判権の停止は罪の成立やその得喪になんら寄与しないことをいう。

大審院刑一判 大正10年3月25日

要旨
裁判所:大審院刑事第一部
判例:1921年(大正10年)3月25日
事件番号:大正10(れ)103

所論外國使臣及ヒ其從者ノ有スル不可侵權ハ單ニ其資格又ハ身分關係ヲ有スル者力在留國ノ法律適用ニ因リテ其生命身體自由名譽等ニ對シ侵害ヲ受ケサルヘキ特殊ノ權利タルニ止マリ之ニ依リテ如何ナル犯法行爲ト雖モ之ヲ敢行スルノ自由ヲ許容セラレタルモノト解スヘキニアラス故ニ其行爲力果シテ在留國ノ法律ニ照シ犯罪ヲ構成スヘキモノトセハ固ヨリ之ヲ以テ犯罪行爲ナリト目セサルヲ得ス蓋シ一國ノ統治權力其作用ヲ領土全體ニ及ホスヘキハ國家存立ノ必然ノ結果ニシテ面カモ前示ノ如キ特權ヲ認ムルハ國際上ノ必要ニ因ル慣例ニ外ナラサレハ其結果統治權ノ作用ニ多少ノ制限ヲ來タスモ之カ爲ニ該特權者ヲシテ全然在留國ノ統治權ヨリ離脫シ以テ絕對ノ自由行動ヲ爲スコトヲ得セシムヘキニ非サルハ洵ニ明瞭ナリ隨テ其者ノ爲シタル犯罪行爲ハ本來ノ性質ヲ失フモノニ非ス而シテ右特權及ヒ所論治外法權ハ特定ノ資格又ハ身分關係ニ隨伴スルモノナレハ其資格又ハ身分關係ヲ保有スル限リハ其犯罪行爲ニ對シ在留國裁判權ノ行使ハ停止セラレ之ニ依リテ訴追ヲ爲スコトヲ得サルモ其資格又ハ身分關係ヲ喪失シタルトキハ公訴時效ニ罹ラサル限リ同裁判權ニ依リテ之ヲ訴追スルコトヲ得ルニ至ルモノト論斷セサルヘカラス然レハ原判決力上來ノ說明ト同一ノ趣旨ニ基キ被告兩名力起訴セラレタル當時旣ニ外國使臣ノ從者タル特別ノ身分關係ヲ失ヒタル事實ヲ認メ公訴不受理ノ申立ヲ却下シタルハ相當ニシテ論旨ハ理由ナシ

二重処罰の禁止