2-1-1. 熱力学における仕事
Thermodynamic work
熱力学における仕事
一定圧力下で系が外部にする仕事
ある系の体積が だけ準静的に増加したとき,この系が外界に対してなした仕事 は次のように求める。なお,外界の圧力は で一定であるとする。
「系」とはエネルギーの変化を調べようとしている物体そのもの,「外界」とは系の外部を指す。
導出1一般に,面積 の物体(または流体)の表面に対して垂直に力 を加えたとき,単位面積あたりの力の大きさ,すなわち圧力 は
系の表面上の微小な面積要素を ,その面の単位法線ベクトルを とする。系が膨張するとき、系は境界を内側から押している。しかし境界が動くためには,外からの圧力を押しのけなければならない。したがって系が境界を押し出すのに必要な力,すなわち微小面要素 が外界に及ぼす力 は
この面積要素が,膨張によって微小な距離 だけ移動したとき,この部分が外部になす微小な仕事 すなわち力と移動距離の内積は,外界の一定な圧力 のもと 仕事(内積)
ここで, という量は,面要素 が移動したことによって増加した微小な体積 に相当するから
積分の項は,系全体の体積の変化量 そのものであり
導出2断面積 のピストンを持つシリンダーを考える。シリンダー内部の気体の圧力を とすると,圧力の定義は単位面積あたりの力であるから,ピストン全体が系から受ける力の大きさ は
この力がピストンを外側へ向かって距離 だけ動かすとき,力学における仕事の定義は力と移動距離の内積だから,系がした仕事 は
ここで,底面積 のピストンが距離 だけ押し出されたことによって増えた空間の容積 は,系の体積の増加量 に他ならない。したがって, より
力学の基本は,ある一点(質点)に作用する力 を追跡することであった。しかし,系は全方位に膨張・縮小する。ここにおいて,特定の一点の移動を追う力学に対し,空間の広がり(体積)そのものをエネルギーの変化として捉える視点が必要になった。つまり,系が分子という小さなもので構成されていることが理解されるにつれ,すべての分子にかかる力を個別に計算してその移動距離を追うことは事実上不可能であることから,力学の枠組みには限界が生じ,アボガドロ数( 個)規模の膨大な粒子からなる系を対象とする枠組みが求められた。そこで,無数の分子による衝突の統計的な平均値として,力を「圧力 (単位面積あたりの力)」というマクロな指標に抽象化する熱力学が生まれた。この式は個別の分子の運動(微視的)という力学の物語を,系全体のエネルギー(巨視的)という熱力学へと繋ぐ,熱力学幕開けの式といえる。
準静的というのは,「無限にゆっくり」という意味である。この条件がない場合,境界が物質を急激に押し退けたり境界に物質が追い付かなかったりすることで圧力が局所的に高まるなどムラができ,一定の圧力 という条件が担保できない。また,仕事によって生み出されたエネルギーが,摩擦などの熱エネルギーに変わってしまうなど,正しい議論ができない場合が多い。なお後者の懸念は厳密には非可逆性という言葉で表すが(初等的な内容では無限にゆっくりな場合,摩擦や内部拡散などの散逸効果は起こらないとみなすことがある),この式自体は可逆的であろうと非可逆的であろうと成り立つものである。この立場に立つと,例えば摩擦のあるシリンダーのようなものを考えるときは,あくまで準静的の時には摩擦が発生しないとしつつ,摩擦熱による熱源が境界とともに移動しているというイメージで,ピストンの摩擦によって生じた熱はすべて系に吸収されているとして立式することとなる。
なぜ「内圧」ではなく「外圧」で公式が書かれるか。主として,系が抵抗に逆らってしたものが「仕事」の定義であり,外圧のないところで体積を増加してもそれは「仕事」とはみなされないからである。なおこの式の前提条件となる「外圧」とは,具体的には大気圧(ピストンの外側にある大気),おもりの重力による圧力(ピストンの上に乗っているおもり),人間が押し返す力(ピストンを抑えている手)のようなものをいう。
一方で,準静的過程(ゆっくりした変化)の場合,すなわちピストンを「無限にゆっくり」動かすような場合であり,かつ,常に内圧と外圧がつり合っている場合に初めて,外圧の代わりに内圧(例えば後述の気体の状態方程式 から求めた内圧)を使って計算することが許される。
系が外部にする仕事
ある系の体積 に依存する外圧 下で,この系の体積が から へ準静的に変化したとき,この系が外部に対してなした仕事 は次のように求める。
体積が から まで変化する過程を,無限に小さな体積変化 の連続として考える。このとき,体積が から へ変化する瞬間の微小な時間内においては,圧力 はほぼ一定であると見なすことができる。この微小区間において,系が外部に対してなした微小な仕事 は,定圧変化のときの公式 より 一定圧力下で系が外部にする仕事
状態 から状態 に至るまでの全仕事 は,これら微小な仕事の総和である。数学公式である区分求積法の考え方に基づき,無限小の について和をとることは,定積分を行うことに他ならない。したがって
導出2系の表面 上の各点において,微小面要素 が受ける力 は,外向き単位法線ベクトル を用いて,圧力すなわち単位面積あたりの力を考えて
この点が だけ変位したときの微小な仕事 は
ここで,その点の時刻 における速度ベクトル は
で求められるから,系全体の表面 がなす瞬間の仕事率(単位時間あたりの仕事)を考え,系の表面全体で積分すると
ここで,各面要素 が外向きに移動して掃き出す微小な体積を表面全体で足し合わせる操作 は,系全体の体積が単位時間あたりに膨張する速さ を算出することに他ならない。
これを両辺時間 で積分すると
後述する熱力学第一法則(エネルギー保存則)を用いて次のように補足することもできる。
熱力学第一法則は,系に与えられた熱 ,内部エネルギーの変化 ,系が外部になした仕事 の間に を定める。すなわち系が熱 をもらったとき,その使い道は つ,自身の温度を上げる()か,外の物質を押して仕事をする()しかない。そうすると,この法則は,「系が吸収したエネルギーのうち,内部の蓄積(温度上昇など)に回されなかった外部へのエネルギー流出分を仕事とする」を意味する式だとみなすことができる。したがって積分形 は,自身の温度を上げるほかに使われて外に流出したエネルギーを,外部圧力という抵抗に抗って空間を押し広げた実績として幾何学的に表現したものと言える。
なおこの熱力学第一法則を用いた説明は,「仕事や内部エネルギーによって網羅できないエネルギーを熱という」という立場をとるこのサイトの説明順序とは真逆であり,この説明を導出として用いると循環論法に陥ることに注意。
系が膨張して大気を押し出せば,大気を構成する分子の密度や運動状態に極めて微小な変化を与え,常にこの式の適用を受けるように思える。たしかに,系が音速に近いような猛烈な速さで膨張した場合は,周囲の空気が逃げ切れずに圧縮され,系の表面付近だけ圧力が局所的に高くなる。衝撃波などがその一例である。
しかし,熱力学で扱う準静的過程のようなゆっくりとした変化では,大気は常に均一になろうとするため,系の表面に触れている大気の圧力は,常に標準大気圧 に保たれていると見なせ,この式を必ずしも用いなくてもよい。このように,エネルギーや体積をいくら受け取っても,その状態(温度や圧力)が変化しないほど巨大であるようなものを熱浴(あるいはサーモスタット)と呼ぶ。
なす仕事とされた仕事
準静的である同一行程において,系が外界に対してなす仕事 と外界が系に対してなす仕事 の間には次の関係が成り立つ。
系と外界の境界において,微小な変位 が生じている状況を想定する。このとき,系が外界に及ぼす力を ,外界が系に及ぼす力を とする。このとき,系が外界に対してなす微小仕事 は,系が外界を押し返す力 を用いると
一方,外界が系に対してなす微小仕事 は,外界が系を押し返す力 を用いて
ここで,境界の質量を ,加速度を とおくと,運動方程式は
準静的,すなわち系や外界がゆっくり仕事をなすとき,物体の加速度 を とみなすことができ
したがってこの関係を の式に代入すると
状態 から状態 までの任意の変化の行程において の両辺を定積分すると
この式は二つのものが同じものにたいして仕事したとき,一方がした仕事が,もう一方にされた仕事と同一であるという至極当然の結果を示しているに過ぎない。しかしこの式を用いるにあたっては細かな条件がいくつか課されていることに留意する必要がある。
第一に「準静的」,すなわち「ゆっくりと仕事をする場合において」という条件。この条件にはいくつかの理由が存在し,主に➀急激な変化などで場所によって系の圧力が変わり,一意に定まらない状況を排除するため,➁静止しているとみなせるほどの変化であれば,摩擦や抵抗によって,仕事によって生み出したエネルギーが意図しない熱エネルギーになって逃げることはないとみなせるため,の二つに集約される。
第二に「同一行程」,すなわち「同じひとつの動きについて論ずる場合において」という条件。当然ながら同じ変化を視点を変えてみているだけに過ぎないから,違う変化同士を比べるものではない。
第三に「系」と「外界」を切り分ける境界が存在することである。例えば半透膜で仕切られたピストンのように物質の移動があったとしても,ある瞬間において半透膜に双方からかかる力が想定できればこの条件を満たす。逆にそもそも外界が定義されていない場合(宇宙の外側など)や境界面が判然としない場合(温水と冷水の境目など)は条件を満たしえない(なお後者は刻一刻と変わる仮想的な境界面を与えることもできる一方,運動方程式において を代入することはできないという立場もある)。また,一方が気体でもう一方が真空の場合も,仕事をする相手がいないので定義されていないとみなすこともできるし,なす仕事が の外界とみなすこともできる。
熱力学では仕事が系が外界になすものか,あるいは外界が系になすものかはよく定義されていない。歴史的には蒸気機関の発展の意図を汲み,熱機関の効率(熱をどれだけ外への仕事に変えられるか)に着目する目的で系が外界になす仕事 を主役として扱い,2-1-2. 熱で触れる熱力学第一法則を表すときに と記述することが多かった。
一方で,系が外界から得たエネルギーの総和に注目するため,外界が系になす仕事 を主役とし,熱力学第一法則を と記述することも多い。
なお,記述の形式が異なっても,エネルギー保存の原理という実態に変わりはない上,このような背景から必ず事象や問題ごとに仕事の逐一定義がなされることになるからむしろ個々の場面ではわかりやすくなるということもある。
外圧と内圧が等しいときの仕事
系の外部の圧力 および系の内部の圧力 が常に等しい準静的過程において,体積が から まで変化する間に系が外界に対してなす仕事 は次のように求める。
系(気体)が外界に対してなす仕事 と,外界が系に対してなす仕事 の間には,エネルギーの符号の約束から常に の関係が成り立つ。したがって,どちらの視点から議論してもエネルギーの収支に矛盾は生じない。
外界の圧力が であるとき,系が外部になす仕事の定義は次の通りである。
一般に,ピストンを急激に動かすような非平衡な変化では,ピストンの加速度や気体内部の渦によって, と は一致しない。この場合,仕事の量を内部の状態量 だけで決定することはできない。
しかし,ピストンを無限にゆっくりと動かす準静的過程においては,ピストンにはたらく力が常に平衡を保ち続けるため,力のつり合いから常に次の関係が維持される。
この等関性を仕事の定義式に適用することで,外部へのエネルギー流出量 を,系の内部圧力 の積分として書き換えることができる。
これにより,系の外部で生じている複雑な変動を考慮することなく,系内部の状態変数のみを用いて仕事の量を算出することが可能になる。
この項目の本質は,プロセス量である仕事を状態量の言葉で書き換えた点にある。
本来,仕事 は「どのように外圧を変化させたか」という外部の操作手順に依存する量であり,気体側の都合だけで決まるものではない。しかし,準静的過程という理想的な条件を導入することによって,外圧 という操作変数を,系内部の圧力 という状態変数に置き換えることに成功している。
この置き換えにより,後に学ぶ理想気体の状態方程式 などを直接積分の中へ代入し,内部の温度や体積の変化から仕事の量を理論的に予言できる道が開かれる。熱力学の計算において準静的過程が前提とされるのは,この数学的な利便性を確保し,マクロな状態量の間で一貫した議論を行うためである。